9/7(fri)「台風9号で波板が」2007/09/07 07:03



 今朝、目覚めたら、自転車置き場の屋根がわりにしていた、白い波板パネルが外れていた。強風の影響だ。雨が止んだら直さなくては。物干し竿に針金で留めているだけだと、やっぱり、台風のときにはまずいな。  昨日は更新のため不動産屋さんへ行き、お昼にミートスパゲティを食べながら、妻が録画してくれていた「トップランナー」の画家・山口晃さんの回を見た。山口さんの絵を僕が初めて見たのは、川崎の岡本太郎美術館でだったと思う。源氏物語絵巻のような横長の絵で、そこにはすでにオートバイにまたがった甲冑を付けた武将のような人が描かれていたように記憶している。岡本太郎賞だったか、そういう賞の受賞作だったのではないか。そのとき、美術館の広いスペースでは、小沢剛さんと中山ダイスケさんによる二人展が催されていた。あれは何年前だろう。山口さんが番組の終わり近く、「かゆい背中を描いてくれ、とかそういうことではなくて、何か役に立つことはないのかみたいなことを考えながら絵を描いております。絵の先の、絵の向こうの何かをめざして」といったことをおっしゃっていて笑った。笑ったが、いいことを言っていると感心した。  夕方、息子のお迎えに行ったとき、『日本という国』を読みましたよと思い切って小熊英二さんに言ってみた。


9/17(mon)「10日ぶりの日記」2007/09/17 16:59


 なんだか慌ただしく、このところ書けなかったので、覚えていることだけでもざっと記しておく。
 9月7日(金)、南砂町で制作会議。8日(土)、用事で国分寺へ行き、パブリックシアターのパントマイムのワークショップに参加できず(あ、欠席の連絡を入れるの忘れていたのをいま思い出した。申しわけなかった)。9日(日)、仕事のサムネイル制作のため、行ければ行こうと思っていた東京藝大の藝祭を断念。10日(月)、飯田橋で打ち合わせ。11日(火)、サムネイル制作。野球雑誌『月刊ヒットエンドラン』での連載「元木大介のバッティング道場」に関するイラストをチェック。12日(水)、サムネイル仕上げ、南砂町で打ち合わせ。サッカー五輪代表最終予選、カタール戦のチケットを入手したが、仕事のため国立競技場には行かず、自宅のテレビで観戦。13日(木)、早朝、「元木大介のバッティング道場」原稿の戻し。午前中に歯科医。午後、南砂町。14日(金)、現代美術家・松蔭浩之さんの主演する芝居「北国行き」のゲネを観るため、午後、ウッディシアター中目黒へ。15日(土)、妻がランニングのワークショップに行っている間、子ども二人を連れて北沢川緑道でザリガニ釣り。帰り、といってもまだお昼だが、せせらぎ公園で下代田のお祭りの屋台が出ていたので、たこ焼き、焼きそば、わたあめ、フランクフルト、ジュースなどを買い、その場でたいらげる。娘と息子はくじ引きをする。息子はくじ引きで赤いプラスチックの、大内順子さんのようなメガネをもらったが、これがなかなかかわいい。夜、山崎浩一さん・山田真理さん一家、WAVE出版から幻冬舎に移ったばかりの編集者Tさんと「都夏(つげ)」で食事。忘れもしない。前にやはり同じメンバー(まったく同じでなく、あのときメンバーの一人はまだお腹の中にいたのだが)で同じ店に行った翌日の、土用の丑の日、うちの息子が生まれた。よく晴れた日曜日だった。その息子ももう4歳。店を出た後、女優のHさんとお嬢さんが通りかかり、声をかけた。Hさんは保育園が同じだったのである。たらふく食べて、ビールを飲んで三千円のもつ鍋屋を教えてもらったので、今度行ってみようと思う。16日(日)、軟式少年野球の朝練&保護者会。夕方から代田八幡神社のお祭りへ。境内で二人のOさんファミリーに遭遇。僕を含めて三人とも坊主頭に近いのを見て、若いほうのOさんが「坊さん(3?)」と言った。なんだかよくわからないが、新ユニット結成か。以前、Nクリニックで看護婦さん(看護師というべきか)をしていたFさんとばったり会う。Fさんといっしょに来ていたNさんを紹介された。それぞれをお子さん連れで、聞いてみるとNさんはうちのかなり近くに住む人だった。

9/18(tue)「朝練、為末、前田」2007/09/18 05:05


 昨日は軟式少年野球チームの朝練に行って、帰宅後は仕事。昼食時、妻が録画しておいてくれた、ウッちゃんナンちゃんのナンちゃんがMCのスポーツ番組を見た。ハードルの為末大選手と広島カープの前田智徳選手にスポットを当てた回だった。
 為末選手は、取り返しのできないことを失敗という、といったことを言っていた。世界陸上大阪の一次予選落ちは、その「取り返しのできない失敗」だという。自分が現役時の地元日本で開催される世界陸上は最初で最後。そこで、メダル獲得どころか決勝にも残れなかったことは「失敗」とのこと。ただ、北京五輪が来年に控えているのでまだよかった、とも。世界陸上大阪を最後に自分が引退するとしたら、残りの一生愚痴りながら死んでいくところでした、と。  前田選手は「ゆっくり(動きながら)待って、ゆっくり打つ」ことを心がけているそうだ。


9/20(thu)「かえるのエルタの続き」2007/09/20 15:51


 月曜日、少年野球の朝練のあと帰宅して仕事。火曜日、南砂町。水曜日、井の頭動物園に遠足に行く娘を学校まで送り、夏休みの自由研究の大きな作品「東京でとったセミ、大阪でとったセミ」を持ち帰る。夜、妻が図書館で借りてきたくれた『かえるのエルタ』の残りを読む。
 先週木曜日、Kさんに続いて小学校のクラスで読み聞かせしたけれど、朝の時間では読み切れず、そのままKさんの息子さんに返してしまい、続きが気になっていたのである。


9/21(fri)「Yさん、ラーメン屋へ」2007/09/21 05:52


 グラフィックデザイナーのYさんから葉書が届き、そこに事務所をたたむこことにしましたと書かれていたので、びっくりして電話した。ある飲食チェーンに入社し、これから修行をした後、独立してラーメン屋を開業しようと思う、とのことだった。二十分ほど話し、がんばってくださいと言って電話を切った。落ち込んでいる様子でんなく、前向きな口調でよかった。いや、逆に励まされたのかもしれない。僕がラーメン屋を開業するのはむずかしいだろうが、僕もがんばろうという気持ちになった。