デビュー戦2006/05/21 16:11

小学一年生の娘が、野球の試合に出してもらった。
もちろん、練習試合でのこと。

にしても、ルールもよくわからないのに、
ありがたい話。

最終回の2アウトから、代打で出してもらい、
三球三振。いや、2ナッシングからの3球目は
明らかに振ったっぽかったし、ボールを落とした
キャッチャーからタッチをされ、振り逃げ三振アウトに
みえたのに、審判の方がサービスしてくれ、
もう一球、バットを振らせていただいた。

父親の自分からすると、ほんと、ありがたい話なのだが、
当の娘は、打ちたくない、出たくない、と駄々をこねて
いたし、その裏の守備でレフトの位置につかせてもらった
ときも、ちょっとイヤそうだった。

こういうのを見ると、まだ無理なのかなぁ、とも思う。
いや、無理か無理でないかというより、
親のエゴで無理強いしているだけなのかな、と反省もする。

試合前の練習のとき、キャッチボール相手がいない
Hくんの相手を僕がしたら、娘がやきもちを焼いた。
その時点から、娘はグズりはじめ、野球に前向きに
取り組んでいなかったのだが、思えば、いちばんわるいのは、
率先して連れ出している僕かもしれない。

野球にサッカーにバスケットボールと、このところ、
いろいろ体験させているが、本人の意思をもっと尊重して
あげるべきかもしれない。いや、そんなにイヤがってはいないし、
けっこう楽しそうにもしているんだけど、
もとはといえば、親が連れていっているわけだし。
かといって、チャンスを与えてあげるのも、親の役目では
ないかとも思っているし。むずかしい。
もうちょっと悩んでみようと思う。


写真はグラウンド脇の「ICHIRO」と「SAKURA」。
最初、イチローの文字を見つけて、やっぱり
野球場だから、メジャー・リーガー、と思ったけど
横にはサクラの名。って、「サクラとイチロー」
いうたら、『昭和枯れすすき』(例のデュエット歌手の
表記は「さくらと一郎」だけど)やんか。
と、ここで『昭和枯れすすき』を調べてみたところ、
大ヒットしたのは昭和50年なんですね。ということは、
1975年だから、もう31年前のことなんですね。
ひゃ〜。月日のたつのは・・・。